DYLクリニックの成り立ち
<2024年5月開業まで>
私は自分が注意欠如・多動症(ADHD)で、物事を要領よくこなすことが出来ません。それでどうしても同じことをするのに世間の他の人よりも時間を要し、精神科医としては「一人ひとりの患者さんの一回の診察時間が長い」という結果になります。
実際ここまで医師になって25年余、大半の時期は一人一回一時間のような長時間の診察を続けて来ました。その結果一日に10名も診られない結果となり、私は外来診察だけでは診療報酬を上げられないことになります。そのために沖縄でのキャリアの前半はたくさんの病院やクリニックを転々としながら、「半日は勤務先の病棟の主に精神保健指定医業務、残りの半分は私の患者さんの発達障害外来」というスタイルでやって来ました。
平成29(2017)年7月からは、沖縄リハビリテーションセンター病院の理事長先生のご厚意で半日の宮里病院、玉木病院外来の外は一日発達障害外来だけを担当、令和3(2021)年2月より玉木病院の移転で沖縄リハビリテーションセンター病院の精神科病棟業務も担当するようになり、同院の常勤として令和4(2022)年9月まで働かせていただきました。
令和4(2022)年私のいくつかの不手際のために病棟勤務が継続出来なくなったため同年9月途中より午前のみの非常勤で外来を継続させていただく形となり、現在に至ります。
実は診療としては午前までしか病院に勤務しておりませんが、2023年1月以降は午後に別に診療を補う意味での保険診療とは別の「オンライン相談」枠を設けて私の自宅からオンラインの動画面接でこれまでと同様の診療の形を続けてきました。午後の「オンライン相談」は正式な診療ではありませんので、処方と診断書は来院の短時間の受診、時間がかかる相談はオンラインで別枠でお話を聞くスタイルです。
私は上記のような形でケアを続けてきましたので、本州や九州、北海道などに転居された患者さんの場合もそのまま主治医としての診療を継続して来ました。
この時期はたまたまコロナ禍と重なり、コロナ禍の特別措置で「電話再審による処方」が認められていました。令和4(2022)年5月にコロナが5類に移行してコロナに関連する電話再審の処方が出来なくなり、沖縄リハビリテーションセンター病院はオンライン診療を行わない方針であったため、遠くに転居された患者さんにはその後も「代理受診」などで対応して来ました。
令和6(2024)年1月に土曜に那覇市の神谷医院で平成24(2012)年から非常勤で継続させて頂いてきた心療内科外来が終了し、その後は那覇市の患者さんも沖縄市まで受診してもらう形となっていました。
ところで午後の「オンライン相談」枠は当然ですが保険診療ではありませんのでお金は社会保険からも本人からも頂かない形で続けてきました。しかし処方や診断書作成は別に病院まで受診が必要で、転居で北海道や東京、仙台、福岡県など他県の患者さんも増えていき、特にDVからの避難で内地に転居された患者さんは家族の代理受診も出来ないため、「無料の相談枠をオンライン診療に移行する」ことを考えたのがオンラインクリニック開業の一番大きな理由です。
もっとも元来一日10人も診ることができず、充分な診療報酬は上げられないスタイルでやって来ましたので、そもそも私は開業は出来ないはずで、医療事務などの事務職員も雇えない。自分の給料も出せるかどうか分からない。結局自宅の一室で医療事務などもほとんど全部自分でするスタイルしか私にはありませんでした。
幸い立ち上げから関わってきた放課後等デイサービス「ドーユーラボ」の関係者のサポートを頂くことが出来、令和6(2024)年2月に一般社団法人「DYLアソシエーション」が立ち上がり、非営利型一般社団法人の運営するクリニックとしてDYLクリニックが令和6(2024)年5月に立ち上がりました。
<開業以降>
開業当初はオンライン診療の仕組みも立ち上がりの時期で、また医療事務なども私が見よう見まねの段階であり、レセコンの会社の人に教わりながらぶっつけ本番で続けてきましたので、最初はオンライン診療の施設基準の届け出が遅れ、たくさんの返戻や査定を頂いておりました。
最終的には5月から9月までの間は処方は出来ていましたが、保険診療はほぼ初診料と再診料だけになってしまいました。
この通り返戻なども多くまともに保険診療の申請等(私が正しく診療報酬請求が出来る)までに数か月かかりましたので、患者さんの数も増やすことが出来ず、現在30名くらいになっています。
令和7(2025)年4月時点の私自身の実感としては、医療事務などの負担が非常に辛く、「お金をもらわないで相談でやっていた時のほうがずっとやりやすかった」と思いますが、結局最初から私の診療スタイルでは医療経済的に成り立たないので、雇ってくれるところもないのは当たり前、ここまで非常勤でも働かせていただけてラッキーだったのだとつくづく思います。
令和7年4月29日 DYLクリニック 後藤健治